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書店で発売中のレコード・コレクターズ2月号は、Phil Spector special issueです。ご存じのとおり、Beatlesのアルバム「Let It Be」のプロデューサーでもある人物です。 彼の手法である"Wall of Sound"は、同じく伝説のプロデューサー・大瀧詠一氏(ビートルズ大学・名誉教授)の諸作品でも重要なキーワードとなっているのはご存じのとおりです。 ちなみに、拙連載「ビートルズ来日学」では、今回も新事実を発表させていただいております。ご興味のある方はチェックしていただければ幸いです。 (表紙デザインは、ビー大公式サイト・右上画像参照)
「朝日中学生ウイークリー」の1月15日号の特集は、「ザ・ビートルズ デビュー50周年」。 星加ルミ子氏と私の2名がインタヴューされており、奇しくもビートルズ大学・名誉教授(星加氏)と、学長(私)の揃い踏み状態となっております。 星加氏は「ビートルズに会ったときの思い出」を、私は中学生に特化した「最初に何を聴くのがおすすめか」といった賞味法伝授を語らせていただいております。 ご興味のある方はぜひご覧ください。(おそらく図書館などで読めたりする場合もあるのではないでしょうか。) 購入方法について、担当者から以下の案内もいただきました: 「朝日中学生ウイークリー」は、普通の新聞と同様に 定期購読で宅配される新聞です。 この号は、今週の日曜日に全国6万人の中学生たちに届きます。 書店などでは買えませんが 朝日新聞の販売店で申し込めば弊社から発送できます。
映画「ポール・マッカートニー LOVE WE MAKE」レヴューを「REAL東京」cinema欄に執筆させていただきました。 字数の限度もあるので超ダイジェストのレビューではありますが、この作品が劇場で上映される地域の方はせっかくですから劇場の大画面と音響で、ポールの生々しいドキュメンタリーを賞味することをお奨めします。こればかりは、DVDになってからでは味わえない貴重な体験ですぞ。 My movie review of "LOVE WE MAKE" is now on the "REAL TOKYO" (see "cinema" category). This is splendid documentary about "Paul McCartney in NY". see Japan official website, too.
映画「ポール・マッカートニー LOVE WE MAKE」が公開中です。 これはポールが「9.11」のテロの際、たまたまNYに滞在中だったことから端を発する、必見のドキュメンタリーです。 話せば長いので省略しますが(笑)、あまりに素晴らしい出来なのでこの場で御報告する次第です。 公式サイトはこちら
早いもので、「レコード・コレクターズ」も2012年1月号の時期になってしまいました。 拙連載「ビートルズ来日学」は、ビートルズ来日公演の中継スタッフだった日本テレビ社員(当時)の方の証言です。ポール・マッカートニーがらみの謎の新事実も御報告しています。 12月中旬ころには書店に並ぶと思いますので、ご興味ある方はチェックしてみてください。 (表紙画像は、ビートルズ大学公式サイトの右上をご覧ください。)
そろそろ書店に並び始める「レコード・コレクターズ2011年12月号」、ビー大公式サイト・右上の表紙画像をご覧になればお分りのとおり「スマイル」特集です。 ブライアン・ウィルソン名義で近年完成させた「スマイル」と、今回その全貌が公式に庫出しされる「ビーチ・ボーイズが60年代に行なったスマイル・セッション」を併せて聴けば、パズルがはまるようにいろいろ見えてくることでしょう。 ポールがそのセッション中にスタジオを訪ね、当時自分が作ったばかりの「シーズ・リーヴィング・ホーム」を歌い聴かせています。また「ヴェジタブル」という曲では、「野菜をかじる音」で参加してもいます。…いろんな意味で、ビートルズ・ファン、音楽ファンであれば要チェックの「スマイル」です。 拙連載「ビートルズ来日学」は、ビートルズ日本公演の中継の重要スタッフだった方の証言の第2回です。今回も新事実がいろいろ明らかになりました。 この連載、単行本になるのはいつの事か想像も尽きませんので、掲載時にその都度ご覧いただくことを推奨させていただきます。 ![]() 映画公開時に掲載していただいた拙レビューが、"REAL TOKYO"の"Book/Disk"欄※に掲載中です。 数あるジョン・レノン・ドキュメンタリーの中でも最高峰と私なりに位置づけている作品であり、これを観るまでわからなかった数多くのことが深く理解できます。 ※同じ欄には浅野忠信・木村拓哉らが声優を務めているアニメ「REDLINE コレクターズ・エディション」の拙レビューも掲載中です。ご興味のある方は併せてご覧いただければ幸いです。 ![]() ![]() My article entitled "Beatles-visiting-Japanology" begins new series of rare testimony of TV staff of Budokan concert. Check it out. 「レコード・コレクターズ」2011年11月号が全国の書店に並び始めました。 拙連載「ビートルズ来日学」は、いよいよ今回から「当時日本テレビ社員で、武道館中継のフロア・マネージャーを務めた方の証言」をご紹介します。 これは昨年6月に兵庫県芦屋市にまで出かけてお話を伺ってきたもので、そこで得られた多くの新事実をついに公表させていただく次第です。 世界中で星の数ほど資料が出ているビートルズゆえ、新事実の発見がいかに貴重な出来事かお分りいただける方ほどお楽しみいただけると思います。 この号の詳細は「ビートルズ大学公式サイト」右上の表紙画像をクリックしてご覧ください。
レコード・コレクターズ2011年10月号が発売になりました。 拙連載「ビートルズ来日学」は、カメラマン・佐々木恵子氏編の完結編です。 氏が撮影したビートルズ来日時の貴重写真を徹底検証する過程で、これまでの定説を覆す事実の発見があり、ビートルズ学の最前線報告として提示させていただいております。 果たして、それは? どうぞお楽しみに。
Last night I went to the Club UP. It was the 20th birthday party of my friend Kees Schaper (and 22nd of Tim Knol, too). Kees and Tim's DJ selection were just my type, 60s mods rare grooves. ![]() And I met my type of band called "the KIK", too. When I first saw them at the rehearsal, I felt like I was in the mid of 60s by time machine. And I instantly convinced it is my type of band. ![]() And suddenly they rehearsed "Here's hopin'" which is my favorite since I heard the song on CD "Carter-Lewis Story" (I am regarding this song originally produced by Joe Meek, as the same concept of the early Beatles, it means mixture of Buddy Holly chords, Everly Bros's chorus and tight R&R sound). My mind was blown. Their tight grooves, splendid harmonies and atmosphere. You can see the Kik on youtube. For instance, here and there. If you are 60s lover, you ain't got nothin' yet without the Kik! ![]() このブログでも何度か紹介したKees Schaper (ケース・スキャパー)君の20歳の誕生パーティーに行ってきました。 2日前に22歳になったばかりのTim Knolと一緒にDJをやってました。この2人のDJセレクションは、まさに60年代モッズ・サウンドのレア・グルーヴ・コレクションづくめで、次々と「これ、誰の何て曲?」と訊きに行ってしまうほど、いかした曲のオンパレードでした。 この日は他にも大きな収穫がありました。 それがこの日の唯一の出演バンド、The Kikです。 まだ客がいないリハの段階で彼らの楽器やファッションを観た瞬間、これは私が大好きなタイプのバンドに違いないと期待度大でしたが、まさかここまで凄いクオリティとは。嬉しい誤算でした。 生で観るのと違って、60年代中期へのタイムスリップ体験のような圧倒的な感動が伝わりにくいかもしれませんが、とりあえずyoutubeでいろんな動画をチェックしてみていただければ幸いです。(上記英文の最後のほうに2つリンクを貼っておきました。)
When I walked down the street, I found a man whose fashion seems to be inspired by Ringo Starr on the "Abbey Road". I decided to say hi to him and got approval of taking these pictures. ![]() He is French tourist and this fashion of him was not inspired by "Abbey Road" though, he also wears boots, too (see below). As you can see his girlfriend's fashion next to him, it was rather hot day, cheers for his chic spirits! 「アビー・ロード」ジャケットのリンゴ・スターのファッションにインスパイアされたとしか思えないいでたちの男性を発見。思わず引き返して声をかけ、理由を話してこの写真を撮らせていただきました。 よくよく聞けば彼はフランスからの観光客で、特にアビー・ロードは意識していないとのことでした。 とはいっても、ご覧のとおり足元もブーツできめていたり、全体にビートリッシュな香りをふんだんに感じるファッション・センスです。もし彼が「ビートルズの67年以降の私服ファッション」をもっといろいろ見る機会があれば、彼の嗜好に合うコーディネイト満載だろうになあとも思います。 隣のガールフレンドの服装(白Tシャツ)からもお分りのように、かなり蒸し暑い日でした。 にもかかわらず、このファッションで歩く彼のおしゃれ精神に乾杯です。 ![]()
Volume 6 of exciting Manga "Boku wa Beatles" for all the Beatles fans is now on sale, and you can find my article entitled "How to appreciate Volume 6" at the end of the book, same as the other volumes. ![]() いよいよ4人が揃ったファブ・フォー、果たして彼らの行く末は? 表紙は、リアルな質感で描かれたグレッチを抱えるショウ(ジョージ役)です。 これを眺めて、あらためて、ちょっと考えてみてください。 ビートルズ・ファンであればあるほどディープに楽しめるこんな漫画が、こんなハイ・クオリティで展開されているなんて…夢のようだと思いませんか。 そんなことを、この文章を書きながらあらためてしみじみ感じている私です。
この景色に何かビートルズ関連の要素かと思わせるものがあります。それは何でしょう? ![]() 答:街灯に貼られたステッカーの文字。 そのステッカーを拡大すると、こうなります。 ![]() 折しも「ジョン・レノン,ニューヨーク」が公開されたばかりの日本ゆえ、誰か日本初上陸を狙うなら今は最適な時期だと思いますよ。
明け方にレコード・プラント・スタジオを出たとき、ボブがスタジオの前でジョンとヨーコの写真を撮った。 ![]() 奇しくも9年前、ジョンとヨーコがエレファンツ・メモリーとの初セッションを終えたときに彼が撮った写真と同じ場所だった。 そして車に乗って帰っていく2人の写真。いつものように、普通の別れだった。 そして、その夜、ジョンが射殺される。 耳をつんざくように、何度も響くパトカーのサイレン音。来日の「ミスター・ムーンライト」のサイレン音と対を為しているようにも聞こえてくる。青春の輝かしさに満ちていた来日時のそれと違い、このサイレン音は慟哭、そして鎮魂、葬送といった悲しみに溢れるサイレン音だ。 現在のヨーコが「ジョンの死亡を聞かされたとき(When I was told that John passed away,)」と語り始める。この英語表現に、ジョージが解散直後に発表したAll things must passという作品のタイトルも去来してしまう。 「…担当医師から彼の死亡をラジオで公表してよいかと尋ねられ、私はどうか15分だけ待ってほしいと頼みました。ばかげた考えだけど、ラジオで公表しないうちはジョンが生き返ってくれるかもと感じたの」と声を詰まらせる。 この生々しさに号泣である。 ダコタ・アパートメントの前に群衆が集まり、ジョンの死を悼み、誰からでもなく「平和を我らに」の合唱が始まる。この歌が、これほどまでにぽっかり穴の空いた気持ちで合唱されたことは後にも先にもないだろう。キャンドルを手に持つもの。嗚咽する者。 ヨーコのナレーションがかぶさる。 「彼はアーティストよ。あなた方はなぜアーティストを殺したりするわけ?(He was an artist. Why would you want kill an artist?)」 このyouが誰を指すか。私は、折しもタカ派のレーガンがアメリカの大統領となったことが関係している説を採る一人だ。「強いアメリカ」を掲げ、右傾化を目指すこの政権の発足時に、またジョン・レノンが復活したのだ。この映画をここまで見た者であれば、誰でも それを想像しないほうがおかしい。 晴れ渡る現在のNYの空。 ここに冒頭の、「生前のジョンのスタジオでの肉声」の続きが流れる。 「お前もスシ食べるって? じゃあ2人前。お前も? 3人前、4人前だ。デリなんかの弁当より、スシの方がいいだろ? んじゃデリの出前は全部キャンセルして、みんなで俺と一緒にスシ取ろう。刺身と玉子の握り、全員分な!」 プロデューサーのジャック・ダグラスとヨーコは2人で、これまでのすべての録音をアウトテイクも含め、一晩中全部聴いたという。「それが私たちにとってのお別れだった」 ヨーコは言う。「実に奇妙な体験でした。ジョンはもういないのに、彼の声が次々と現れてしゃべったり歌ったりしているのですから」 ジョンが「これからもずっと一緒に過ごそう ヨーコ」という歌詞の部分についてミュージシャンに指示する声がかぶさる。 エルトン・ジョンの談話。「彼と一緒に過ごした時間は私の宝物だ」 ショーンの誕生日(自分の誕生日でもある)に、ショーンの友達を招いてケーキを一緒に吹き消しているジョンの写真。 そして暗転。 黒地に白い文字で、「亡きJohn Winston Ono Lennon1940-1980に捧ぐ」 「ヨーコ・オノに深き感謝を込めて」彼女の協力がなければこの映画はこのような出来栄えに完成しなかったという謝辞。まったくそのとおりである。 そして黒バックにIMAGINEの文字…しばらくしてその後ろにPEACEという単語が加わり、IMAGINE PEACEと変わる。ヨーコさんが近年発し続けているメッセージだ。 「~せよ」と指示を与えるこの短い文章は、ヨーコがジョンと出会う前から展開していた彼女のアート形態のひとつである。 ジョンはこの方式をそのまま取り入れて「IMAGINE」の歌詞を書き上げ、「IMAGINE」は人類が西暦2000年を迎えるにあたってイギリスで開催された投票で「この1000年間で最も偉大な歌詞」に選ばれた。 私は、この歌ほど実践的な歌はないと捉えている。 ジョンとヨーコは、漠然と「平和」を思い浮かべよと言っているのではないのだ。 鮮明に世界中が平和で暮らす様子をイメージするには、その一つ前には何をやらねばならないか、更にその一つ前には何をやるべきかを順番に考えて行けば、自分たちがまずしなければならないことがわかるはず、という歌だというのが私なりの解釈である。 少なくとも「自分の周囲と仲良く楽しくやっていくこと」は一つの解だ。そんな簡単な事かと思うなかれ。いろんな考え方の人間がいるからこそ、これをまっとうするには大変な努力が必要であることはこの文章を読み終えて日常に戻った瞬間に実感するはずだ。 ヨーコさんは名プロデューサーであり、ジョンの何たるかを後世に伝える能力と資格を誰よりも持っている人物だ。 ヨーコ・オノを未だに「ジョンを理解していない」「ジョンの大ファンだが、ヨーコは理解できない」という人がいたら、その人は自分はどういう立場でどこまでジョンのことを「実際に」知っているのか自問自答したほうがよい。「ジョンが最も愛し、最も信頼している人物」を理解できない自分がジョンの理解者であると、何をもって自負しているのかも。 蛇足ながら、この映画を見終えた方は、ぜひ「ジョン・レノンVSアメリカ」も是非ご覧いただきたい。ジョンとNYの関係を語るこの「ジョン・レノン、ニューヨーク」の裏テーマはまさに、そこにあるのだから。 (了)
だからこそその1年後に、ジョンから電話がかかって、レコーディングに復帰すると聞いたときは驚いたという。 「彼はしばらくやってなかったことをやりたくなったようだ。夫と父親とアーティスト、どれもうまくやっていける手ごたえを掴んだように感じた」 ![]() 冒頭と同様、復帰レコーディングの音源。 「ベース、いいね。これまで俺の曲に欠けてたのはこういうイカしたベースだった」 ポール・マッカートニーという世界最高のベース・プレイヤーと長年一緒に仕事をしていた男だからこそ、とりわけNYに来てからの渇望感は大変なものだったろう。 そしてこんな言葉を言う。 この歌をジーン(・ヴィンセント)、エディ(・コクラン)、エルヴィス(・プレスリー)に捧げる。それからバディ(・ホリー)にも!」 歌い出すのが、復活のテーマともいえる「スターティング・オーヴァー」デモ。前の語りから、ダブル・ファンタジーのリマスターのボーナス・トラックで初めて聴いたときに感激した音源だ。 ジョンの当時のインタヴュー音源。「エルヴィス・スタイルで歌ってるのは、60年代のビートルズのジョンに戻るんじゃなくて、結成前のジョン・レノンになってるんだ」 「昔の自分や、ニューウェイヴの連中と張り合おうなんて思っていない。以前の自分がそうしていたように素直に音楽を楽しんでいるんだ」 3人の腕利きギタリストにここぞというとき名前を読んで「○○、ここで何かギターを足せ」「××、何か弾け」冗談を言って、みんなを乗せて、そうこうしているうちに最高のリズム・ギターができるのだそうだ。「そのときの気分は最高さ」とギタリストが証言する。「ジョンが上で、残りが下という関係でなく、根っからバンドが好きなんだ」とも。 ダブル・ファンタジー秋に発表して、クリスマス後に更に1枚発表する予定で、最初から2枚のアルバム用の全曲を一気に録ったことも明かされる。 スタジオに入った初日、まずジョンがしたことは何か。ショーンのスピーカーを左右のスピーカーの真ん中に貼ったのだ。その様子も写真で公表される。作業中必ず見る場所である。「ジョンは毎日この写真を見ることでひらめきを得ていた」 ショーンが保育園から帰ってスタジオに来るたび、抱きしめて「お父さんが今日吹き込んだ歌を聞かせてやってくれ」と言い、感想を求めていたという。 ビューティフル・ボーイの結びの「Darling, darling, darling, darling Sean」の歌声に、篠山紀信氏撮影の「スタジオでひざまづいてショーンを抱きしめるジョン」の写真が紹介される。 そしてアルバムは大ヒット、そして高い評価。 「自分の感情を正直に表現した勇気。イマジン以来の最高傑作だ」と評論家は語る。 何よりもヨーコの曲が高く評価されたことにジョンは大喜びだったという。 そして稀代の名曲「ウーマン」。ビートルズの曲と見まごうばかりの構成で正面切ってジョンからすべての女性への感謝の気持ちを込めて歌った曲だ。 ジョンは「16歳に向けて歌ってるわけじゃない。もちろん聞きたければ聞いていいんだけど。僕は曲を書くとき歌うとき、いつも自分の同世代を思い浮かべてるんだ。もうお互い40か中年だな、とか。今、自分はこんな考え方でいるよ。君はどうだい? 妻や子との関係はちゃんとうまく乗り越えてるかい?」 LA時代も通過し、安らぎに満ちたジョンとヨーコがセントラル・パークを歩く映像。貴方は「ああこのコートはジョンが初めて自分で買って興奮していたコートだな」と、冒頭に見た同じ映像すらも一段深く味わえる身体になっていることに気づくはずだ。 写真家ボブ・グル―エンの証言。 「12月の金曜日のことだった。1月には2枚組アルバムになる第2弾の残りを完成させ、2月にバンドを結成してプロモ・ビデオ撮影、そして3月末にはワールド・ツアー。久々に英国もまわり、ミミ叔母さんや親類と会うことも楽しみにしていたよ」 皮きりに日本武道館も既に押さえてあった事実も知っているマニアは深いため息をつかされる場面でもある。 つづく ![]() 「LAから出てヨーコの元に戻れることを目指して」 最初はあれだけ解放感に溢れて、失われた青春を謳歌していたジョンがLAから出たいと懇願するようになるこの流れは、教訓めいたおとぎ話を読むようだ。 しらふで作ったのが「心の壁、愛の橋」だったのだ。アルバム全体に流れるあの透徹感の理由が腑に落ちた。 (ヨーコと復縁せぬまま)NYに戻ってレコーディングを開始する。LAのときと違い、ちゃんとシラフのまま真面目に仕事をしてくれるミュージシャンと共に。 「ヨーコに会いたい、LAから出たい。NYに戻りたい。酒びたりの生活から脱けたい。気づくと心の壁愛の橋を作っていた」 あのアルバムは典型的なメイ・パン期の産物ゆえ、LA録音のイメージを抱いている人は多いのではないか(少なくとも私はそうだった)。これは眼からウロコだった。ジョンは、ヨーコに許してもらえぬまま、せめて物理的にNYに戻ってきたのだ。ロックンロールのアルバムを補足録音したのもそれらのミュージシャンたちとNYでやった作業(要確認)なのだ。 そういえば「スタンド・バイ・ミー」のプロモ・フィルムで、最後にジョンが即興のあいさつ「みんな元気かい。僕はここNYで君にこうして歌ってるよ」と言っていたではないか。 このレコーディングの最後のこまごました部分のオーバーダブ作業を、調整室に招かれて見学した有名ラジオDJの証言。「ビートルズのジョンがそこで歌ってる。そう心で叫び、一気にティーンエイジャーの自分に戻ってしまった」 近年のポールのコンサートの会場もそのとおりだ。どんな業界人も有名ミュージシャンも、一般人と同じ立場、つまり「わあ! すげえ! 生ビートルズが歌ってるんだ!」となる。そこが感動的なのだ。 そのDJは最後にジョンに挨拶して言う「よかったらこのアルバムのプロモとしてスタジオに遊びに来てくれませんか」 そのときのラジオ音声がかかり、元々はこのアルバムの課題は「ナンバー・ナイン・ドリーム」だったことも明かされる。私がジョンのソロで大好きな、このアルバムの一収録曲だが、やはりジョンの中でも重要曲だったのか。 「宣伝が終わってもジョンは残ってくれた」とDJ。 ジョンが天気予報を読み上げたり、政府からの退去命令に抵抗している件などもたっぷり語る様子も音声で紹介される。 「NYが好きだからね。オハイオ追放なら全然OKだけど。オハイオの人、他意はない冗談だからね」という言葉に、北野武の姿をだぶらせ、ジョンの魅力をあらためてリアルに実感させれる。 また「チャップリンが昔レッド・パージで同じ目に遭い、長年経ってからアメリカに戻れた悲劇」をDJが語ると、「そうそう。60歳になってからイエスタデイでちんけな盾をもらうのは嫌だよ」と笑わせる。これは老齢になってからチャップリンがハリウッドで賞をもらったことを指している。「そもそもイエスタデイはポールが書いた曲だっつうの」 そしてDJがバックに流れ始めた曲についてジョンに尋ねる。「この曲のタイトルは?」「scrared(恐怖)だ。書いた時の心境さ。今の僕はとてもハッピーだよ」 あのアルバムのジャケットがどんなつくりだったか、思い出してほしい。 11歳の自分が描いた絵、そして「ジョンの笑顔や面白い顔が、眼の部分だけ、口の部分だけ、いろいろ組み合わせられる」気さくなジョンが戻ってきたつくりだったではないか。 政治色溢れるアルバムと狂気に溢れるオールディーズ集の後に彼が発信したのは、こんなにも透明感に溢れたアルバムだったことは、あらためて体感すべきだ。 ジョンがエルトンと共作し、一緒に吹き込んだヒット曲「What ever」についても語られる。 エルトンが「今度マジソン・スクエア・ガーデンでコンサートをやるから、飛び入りで一緒に歌おうよ」と言ったとき、ジョンは冗談で「1位になったらそうするよ」と答えた。 そしてこの曲は本当にチャート1位になり、ジョンが約束を守らねばならなくなる。 ここで、現在のエルトン・ジョンが証言者として登場。 「そのときの僕のステージ衣装は、たばこの箱か何かで作った小さな水着1丁だった」 当日ジョンはそれを見て驚いてこう言った。「最近はステージ衣装って、みんなこんな感じになっちゃってんの?」 紹介されるそのときの音源と写真。 エルトンが言う。「出演前、ジョンはトイレに行って吐いていたようだ」 「私にとっても、NYにとっても素晴らしい思い出になっている一夜だ。なんといっても、この晩、彼はヨーコの元に戻ったんだからね」 ステージにジョンを招き入れる様子から始まる。エルトンの証言にまた涙が落ちる。「あれほどの歓声を誰かが受けている様子は、私の全人生を通して見たことがない。あのときのことをこうして語るだけでも感無量になってしまうよ。10分間、大歓声と共にNYがオール・スタンディングだったんだ」 ここで現在のヨーコもこう証言する。「MSGが地震のように揺れていたわ」「でも私の知ってる、労働者階級の英雄的な力強いジョンじゃなかった。とてつもなく不安げな内面が私にはわかった」。大歓声の中、ヨーコだけが感知したジョンの深い部分。 ヨーコは楽屋に行って「ジョン、信じられなかったわ」と涙を必死にこらえたと証言する。 彼のいたいけな姿がヨーコの深い部分にも触れたのだ。ジョンは赦されたのだ。そのときの楽屋で二人が語る写真が紹介され、しみじみと見入ってしまう。 ヨーコは「困ったことに自分がジョンの事をまだ愛してることに気づいてしまったの(I thought that it’s too bad that I still love him. )」と回想する。 ヨーコは、ジョンと別居している期間に、古着屋で1920年代あたりの素敵な男性パジャマを購入し、「これが似合う素敵な男性が現れますように」と女性らしいときめきを込めて祈っていたことも明かす。そして、ジョンが戻った時、このパジャマをジョンに着せてみると実にぴったりと似合ったという。 どんな小説家も、これほどロマンチックな物語を書けないだろう。これがドキュメンタリーとは信じられない。 ビートルズが初めてアメリカに上陸しTV番組「エド・サリバン・ショー」に出演したとき、ちょうど「抱きしめたい」が全米1位となっていた。そういった奇跡と同様、もしエルトンとの共作曲がMSGの前に1位になっていなかったら、ジョンはステージにあがることなく、ヨーコの元に戻っていたかも不明だ。まさにビートルズくらいの大きな存在には、常に宇宙も味方するとしか言いようがない。 そして4年の長きにわたる国外退去命令は却下され、ジョンとヨーコはグリーンカードを獲得する。その日に、待望のヨーコとの子ショーンも誕生した。しかもジョンの誕生日である。ジョンの喜びは想像に余りある。 ショーンとの子育ての様子がプラベート映像や音源をまじえて紹介される。 ショーンがサージャント・ペパー収録曲「With a little help from my friends」を可愛く歌い、「これ、僕が大好きな歌。これ歌ってるのは誰? パパ?」「リンゴさ。パパとポールはバックで歌ってるけど」と答えたり、歌詞の間違いを正してやったりしている音声。 ジョン・レノン・アンソロジーに収録されていた(私の大好きな)音源だが、マニアでない限り、この映画で初めて聴いて感動するはずだ。 この音源を公開したヨーコはおそらく、ファンサービスのみならず、ショーンがジョンの遺作「ダブル・ファンタジー」録音直前まで自分の父親が元ビートルズであることを知らなかったという伝説はいささか誇張されすぎであることも、さりげなくほのめかしているのだ。 音楽プロデューサーのジャック・ダグラスが子供を連れたジョンにばったり出くわしてランチを取ったときの思い出を語る。 「イースト・サイドの健康食糧品店でばったり会ったよ。彼は息子の水泳教室に一緒に参加した帰りだったようだ。風貌も声のトーンも歩き方もすべて前とは違っていた…そして何より彼の横には彼の息子がいた(He was totally different, he looked different, his, his tone was different, his step was different. His, son was there.)。彼は私に最近の業界事情を尋ね、直通電話番号をくれて電話をくれと言った。でも私は電話しなかったんだ。彼が、今まで持っていなかった素晴らしいものを手に入れたのがわかったから(He seems to, He seems he got it. Something that he never have before.)。業界の雑事に引き戻したくなかったんだ」 この敏腕プロデューサーは、驚くほど枯れてしまったジョンの姿に、5年のブランクを取り戻して、復帰するのは難しそうに感じたに違いない。 ![]() つづく
カメラマンのボブ・グル―エンや、エレファンツ・メモリーのメンバーまでFBIに尾行され、ビルから出た時にあからさまに写真まで撮られたそうだ。撮って逃げて行った男は中折れ帽にトレンチ・コートだったというから実際そこまで劇画調な服装で活動していたことも含め、二重のアングリである。 エレファンツ・メモリーのメンバーまでがFBIが露骨な形で電話を盗聴されていた当時の様子を証言する。 ジョンがTVショーで語る。 「最初は車での尾行と盗聴だった。わざとわかるようにそうして脅すんだ。でもそんなことを皆に言ったとしたら『あいつ馬鹿だ』みんなにと思われるだろう。もちろん今までもとっくにそう思われてるけどさ。『尾行と盗聴だって? 天狗になるな。何が狙いだというんだ?」ってね。俺の方こそ知りたいよ。 ジョンとヨーコは、アメリカの政治的状況を歌にして、さながら新聞のようにレコーディングして即リリースした。 ジョンの目論みはおそらくこうだったはずだ。 「自分のファンであれば、そこに何が歌われていようと、新作アルバムを聴いてくれて、今何を俺が訴えたいか理解してくれるはずだ。いつもの3割減でもそれはかなりの数になる。ちゃんとした音楽評論家であれば俺の今のこの考え方をわかってくれる」 しかし、「NYに何があった?芸術的自殺か」といった酷評、そしてファンも黙殺した。 私も、このアルバムを聴く頻度は極端に少ないことを認めねばならない。 ジョンの当時の気持ちが初めてわかった。 エレファンツ・メモリーのメンバーの証言「彼は俺たちにじゃなく、その反応に失望していたよ」 「ワン・トゥ・ワン・コンサート」が、永住権獲得のための必要条件を積み重ねることと、世直しを兼ね備えた、ジョンとヨーコの戦略だったことも、この映画で初めて腑に落ちた。 写真家ボブ・グル―エンは今まで友人と思っていたジョンがリハで「イマジン」を歌う声を聴いて「ビートルズの、あの、ジョンだ」とあらためて感動したことを回想する。 観客の盛り上がりも最高、終わった後も全員で抱き合って成功を喜んでいたのに、翌日のレビューは「つまらないコンサート」と酷評。ジョンは落ち込んでしばらく姿を見せなかったそうだ。 そのうえ、ニクソン政権はしつように国外退去を強要していた。 ![]() 72年、久々の大統領選、平和を願う人々がニクソン失脚を強く願ったにもかかわらず、ニクソンが圧倒的勝利を収めた。その知らせをエレファンツとのセッション中にラジオで聴いたジョンとヨーコは落ち込む。ほんとはセッションが終わってからルービンの家に集まり、テレビで選挙結果を皆で見る予定だったようだが、セッションは中断し、そのヤケ酒パーティに着く頃にはジョンはべろべろだったそうだ。 更にヨーコはこんな告白もする。なんでも、ジョンはそこにいた女の子の一人と隣の部屋に入り、大声でセックスを始めたそうだ。エレファンツのスタンが気を遣ってレコードを大きな音でかけてもどうしようもなかったそうだ。 ジョンがヨーコに日本語で謝る「あいすません」が流れる。 ファンにはおなじみの「NYの埠頭でヨーコに土下座しているジョン」の写真も紹介され、それは、その出来事の翌日に撮られたものだったことも明かされる。あれは女性礼賛を表現した写真といった牧歌的な光景ではなかったのだ。ボブ・グル―エンたちと二日酔いの頭で埠頭に行き、座っていたとき、仲間の前でヨーコに恥をかかせたことを深く反省したジョンが謝っている猛反省を捉えた写真だったのだ。 そして、しばらく「24時間一緒体制はストップ」とヨーコは提案。「出て行って」と言った。しかしヨーコはジョンが一人では何もできないことを知っているから、母性の部分で不便を感じないよう、メイ・パンをつけてやって。 LAで楽しくラジオに出演し、リスナーの電話に応えているジョン。 マインド・ゲームすをリクエストする女の子に「僕もさ。素晴らしいリクエストだ」と話しかけるジョン。女の子の至福のため息が電話越しに聞こえる。 知らなかった。NYを離れる前にジョンがメイ・パンにブッキングさせて作ったのがアルバム「マインド・ゲームス」だったのだ。ジャケットは、荒野に立つジョンと後ろにそびえる山。その山はヨーコの顔を横にしておいたものだ。まさにジョンの「心象風景」はメイ・パンに保護係を委ねられた直後もこうだったのである。 この時期、ジョンの秘書兼愛人を務めたメイ・パンのことを歌った歌としては、私は「サプライズ・サプライズ」だと確信しているが、「鋼のように、ガラスの如く」も、メイ・パンのことを歌っている歌だったと気づかされた。 イントロで、ジョンが自分のボーカルに『(今から歌う歌は)誰についての歌だ?誰についての歌だ?』とウィスパーで自分に突っ込みを入れていることも、ジョンとメイ・パンの写真群に重ねて流されるのだ。 メイ・パンの証言。 LAの2人の生活に、ハリー・二ルソンやキース・ムーンの他、リンゴやポールもやってきたことをカラー写真とともに世に伝える(ちなみにこれらの写真が載っているメイ・パン写真集は必見)。 「(ポールとは)まるでしょっちゅう会っている兄弟のように、普通に仲良く過ごしていた」という証言も。 ジョンのスタジオや外での酒乱と乱痴気騒ぎが始まる。 ついに友人でありエンジニアでもある男性が、ジョンの唯一の家族であるヨーコに電話をかける。「ヨーコ、頼むからこっちへ来てくれ」と。 ここで現在のヨーコが登場し、そのときどう返事したかを明かす。これが実にいい。 「彼を迎えに来いって? 何言ってんのよって思ったわ。あんたら皆、私がジョンを独占してるって言い続けてきたくせに。さ、今度はあんたたちの番よって言ってやったの」 ヨーコの言うとおりである。 こんな怖い思い出も当時の仲間が明かす。 皆でべろべろに酔って店から車にのったとき、多くの人が近くの火事で集まっていたため「ジョンだ」と集まって大騒ぎになった。そのときジョンが「どうしたいんだ。好きにしていいぞ!」と言いながら群衆の中に入っていったそうだ。慌てて、仲間たちは車にジョンを入れるが、ジョンは力が強く、ドラマーのジム・ケルトナーは片手で床に押さえ込まれたことを今でも覚えている(おそらく黒くて長いリムジンなのだろう)。窓ガラスが割れかねない勢いで蹴り、皆に押さえつけられまいと暴れながら絶叫したのは「ヨーコ」という名だった。ここで号泣である。 「彼は本当に酔っぱらうと、いつもヨーコの名を叫ぶ」ロックンロール・セッションでの産物「スタンド・バイ・ミー」が流れる。 ヨーコの所に戻らせてもらえないストレスで、酒におぼれて荒れるジョンのことを証言するジム・ケルトナー。 ジョンの歌声が入る。 “You don’t know what you got, until when you lose it.“ (自分が持っているものの有難さは、それを失うまで気づかないものだ) ジョンは自分の体験している今の状況を歌にしていた。ファンなら誰でも知っている事実だ。だがこれも「知識として知っている」だけと、「腑に落ちて理解する」のとは大きな違いがある。私はこの映画でようやく理解できたように思う。 ジョンの当時の談話音声「ヨーコと離れて分かった。自分は本当に本当にヨーコといることが必要なんだと。本当に本当にヨーコと一緒にいたいんだということも。彼女なしでは生きていけないということも。自分はもう粉々の状態になりかけてる。こんな自分だとは気付かなかった」 現在のヨーコの談話が、当時の自分の写真にかぶせて心境を吐露する。 「べったりでなくなることが重要だったの。私だって一人でベッドに入ると、とても不安で震えて、こうも考えた。”一人で生きていけないような人間はよくない。でも毎晩不安で震えているような状態はもっとよくないの(“I think, this is bad that a person cannot be alone, and if you are alone, you’re shaking, it is very bad.”)。でも、ジョンには元に戻ろうなんて切り出せなかった」 一方で友人たちはヨーコに電話して「ジョンは良好な状態だから、もう帰宅させてやってくれ)」と頼むが、ヨーコに「まだ全然ダメ」と断られてしまったことも証言する。 ジョンが毎晩べろんべろんになって荒れているのとは対照的に、ヨーコはNYで自分の新作アルバムに向けミュージシャンを募集し、エレファンツ・メモリーとは異なる新バンドを従えて自分のソロ活動を始める。 ライブハウス出演時の看板の写真。 「YOKO ONO & PLASTIC ONO SUPER BAND」と挑発的に書かれている。 ジョンの気分になっていただきたい。 「ああ、ヨーコはもう俺無しでもアルバムを作れるほどに成長してしまった、俺無しじゃ何もできないなんていうのが虚構だと見抜いてしまったんだ。一方、俺はヨーコ無しで堕ちていく一方だ。LAでの生き地獄からどうすれば抜け出せるのか」という心境になるだろう。 ヨーコはNYアート・シーンでも活動を精力的に展開し、ウォーホルを始めとした旧知の大物芸術家たちとの本来の交流もふたたび再開する。 「忙しくて大変だったけど気持ち的にはとても自由で楽しかった日々」を楽しんでいた。 つづく
ここで貴方がアメリカ政府だと想像してほしい。 ビートルズがいかに大きな影響を全米の若者に与えてきたか。ジョン・レノンというリーダーはここ数年、英国でベトナム戦争反対運動を行い続け、いよいよ我が国に来て住み始めた。予想通り、過激派の奴らと接触している…。 ジョンの暗殺に関して、「アメリカのマインド・コントロール説」が濃厚だと感じたときからこの映画を見る前まで私はアメリカ政府のとった「鶏を殺すのに牛刀を用いるがごとき愚行」を憤っていたが、今ようやく、アメリカ政府の恐怖心の方もまざまざと実感させられた。どちらも真剣勝負だったのだ。世界中を舞台にしたまさに命がけの戦いであった。たとえれば「マフィアにたてついてどこまで行けるのか」、世界のフィクサーたちも注目していた状態。政財界の長年のルールとマナーに、新しい方法で金だけは持っている若者が反抗して“てめえ、いい加減にしろよ”となったのだ。本質的には「ライブドア事件」と似た図といえばわかりやすいだろうか。 映画は次に「ジョン、NYに住んでまず何をやりたい」とレポーターに訊かれる映像を紹介する。「ジョン・シンクレアを釈放した。彼はたった2本のジョイントを所持していただけで逮捕されたんだ」「特別に作ったジョン・シンクレアという歌も歌うよ」とジョンは語る。そしてステージに立った時の映像。 ジョンについて詳しいファンも、データとしてでなく深い部分でもう一度かみしめるべきだ。これはジョンのコンサートではなく、活動家たちによって開催された”ジョンのコンサート付の政治集会“なのだという事実を。 無料でステージに立ったジョンは「特別に作ったジョン・シンクレアという歌を今から歌うよ」といってヨーコ、そしてエレファンツ・メモリーと一緒に歌い始める。 我々が普通にジョンの楽曲のひとつ「ジョン・シンクレア」を「はいはい、別件逮捕されたジョン・シンクレアを釈放せよと歌ったあの作品ね」と“データとして”把握しているのとはまた別次元の、リアリティを感じるはずだ。この曲の成り立ちから考えると「地域的にもメッセージ的にもピンポイントのテーマ」を歌った、「個的」といってもよい作品なのに、ジョン・レノンほどになると、こうして世界的規模で購入され、長年に渡って聴かれている。 ジョン見たさに集まった大変な数の若者たちに、ジョンはマイクで言う。「フラワー・パワーが失敗に終わったって?それが何だ。だったらまたやり直せばいい。団結すればきっとやれるんだ」 アメリカの反戦運動も67年以来、疲れ始めていた。ベトナム戦争はますます激化する一方だからである。それに慣れ始めていたとさえ当時の証言は言う。だからこそ「そんなことになっている場合ではない。どんどん多くの命がなくなっているのだ。徐々にではなく至急、この戦争を止めなくては」という状況になり、「反対を唱えるだけでなく、抵抗せねば」がスローガンになってきていた。まさにそんな71年にジョンがNYに活動拠点を移したということがよく把握できる。 また別の大規模集会にヨーコと登場して、「何かの本に『反戦運動はもう終焉を迎えた』とあった。へっへっ、ちゃんちゃらおかしいぜ」とアジテートするジョンの映像。 そうなのだ。ジョンはずっとこれくらいの発言を公にしたくて仕方がなかったのだ。しかしビートルズというバンドのメンバーであったため自重していた部分があったことがよくわかる。そして解散直後のこの時期、思いっきり伸び伸びと、言いたいことを好きなだけ発信しているのだ。 この映画は、なんとそのコンサートの48時間後にジョン・シンクレアが釈放された映像も紹介する。その時の若者世代の「何でもできる」と感じた高揚感。アメリカ政府側の不安も、今や貴方はまざまざと体感できるだろう。 政治集会で活動家の若者は煽る「ハリケーンのような威力を持つジョン・レノンを我々は必要としている。ジョン、これからもよろしく」大変な数の若者が声を挙げて高揚している。まさに「ビートルマニア 政治編」である。少年マガジンが読者と共に内容が高年齢向きになっていき学生運動の中で大学生に愛読されたように、ビートルズも彼らと一緒に成長し彼らと共に歩んでいたのだ。 活動家たちとジョンはこんな打ち合わせをしていた。 「政治集会をセットにしたジョンの全米ツアーを行い、アメリカ中の若者に反戦と有権者登録を行い投票数によって政府にNOを突きつけよう」と。翌72年は「18歳が選挙権を持つ初めての選挙」となるからだ、と解説が入る。「18歳に反ニクソン票を投票させることが重要であり、66年以来初のビートルの全米ツアーとセットにすればそれは実現できる」と言う作戦だったのだ。 一方、アメリカ政府、すべての政治集会はFBIも潜入し、全員の全発言はおろかジョンがそこで歌った歌の全歌詞まで、文書でニクソンに報告していた。 ニクソン政権にしてみれば「これは断固阻止せねば」と思うのも当然だ。 「68年の武力闘争の連中が、今度はジョンを先頭にもう一度やらかすというのだ。これは何としても阻止せねばならなかった」と解説が入る。 アビー・ホフマンとジェリー・ルービンは過激派で武力闘争、破壊行為も辞さなかったのだ。ここで現在のヨーコが登場し「もちろんジョンは、アビー・ホフマンやジェリー・ルービンのやり方(武力闘争)は採ろうとはしませんでした」と補足説明する。ジョンとヨーコの方法論は、例えばニクソンの対抗馬を大統領にするといった方法であった。ヨーコは「世界を平和に導くために自分たちなりに努力していたのだ」と語る。(このあたり、映画『アクロス・ザ・ユニヴァース』で描かれた、主人公と過激派の関係と相似形である。あれは実によく出来た映画なのだとあらためて実感させられる。) そしてニクソン政権が「レノンの計画を阻止する対応策は国外追放がベスト」と結論を出したことが、FBI機密文書(近年ようやく公開された)をまじえながら明かされる。 ここで、この時期ジョンのバックを務めていたバンド「エレファンツ・メモリー」の紹介が挿入される。 日本では当時「過激派で構成されたバンド」と紹介されていたが、政治を題材にし集会に積極的に駆けつけてグリニッジ・ヴィレッジの若い世代をアジテイトしていたバンドなのだとわかる。 ジェリー・ルービンたちがエレファンツ・メモリーのテープをジョンとヨーコに「これ聴いてみてよ」と渡したというヨーコの証言。 「政治的スタンス」が共通しており、ジョンのバックを務められるくらいのレベルのバンド…このバンドがNYにいなかったら、ジョンとヨーコはステージに立つときもアンプラグドかまたは学芸会程度のその都度のステージバンドと余興に近いお楽しみタイム的にやるしかなかったわけだ。遅まきながら、エレファンツ・メモリーがいてくれたことに深く感謝した。(今までは『ビートルズ年表に登場する名前のひとつ』といった認識だった。私のようなファンは結構多いのではなかろうか。) 最初に一緒にレコーディングした曲は「女は世界の奴隷か」。白人が「ニガー」という単語を発するこの歌は放送自粛され、売れ行きもさんざんだった。しかしテレビ(ディック・キャベット・ショー)出演時に注釈つきでその演奏がオンエアされ、ほとんどがTV局は奥歯にものの挟まった注釈をつけるなというポジティヴな意味での講義だった。 ニューヨークっ子、アメリカ国民にとっては、遠いイギリスで暮らしていたジョンが自分たちの国に引っ越してきたという実感が(こうしたアメリカのTV出演も含め)実に生々しかっただろう。 ディック・キャベット・ショーで、ジョンはヨーコにこう言う。「訴訟の話もしたほうがいい」 ジョンとヨーコが雇った弁護士は当然超一流だろう。彼はアメリカ政府移民局のえらいさんと長年の知人であったから、すぐ電話をして居住ビザの延長許可をもらいたいのだがと言う。彼は「よし、前向きに検討するよ」といつもどおりに胸を叩いてくれた。しかし、しばらくして電話があり、その移民局のえらいさんも口調が変わっており「我々は彼を追い出したがっている。1か月の延長ぐらいなら私の権限で発行する。それ以降は、彼らを我が国から追い出したまえ」と言われたそうだ。「我々」というのが誰を意味するのかはわからないが、と弁護士は回想する。 ![]() つづく
映画「ジョン・レノン、ニューヨーク」について「REAL TOKYO」のcinema欄に掲載中のレビューと併せて読んでいただきたい「長尺版」をここに掲載させていただきます。 これはこの映画のレビューを書くための鑑賞メモを、読みやすいよう多少の加筆をしてまとめたものですので、うっかりメモのままのラフな部分が残っている可能性もありますが、これがそのままこの映画の「賞味法各論」とも言えるため、いつかきちんと本にして出版するまで取っておくよりも、映画公開時に公開することにしました。 最初に言っておきますが、長いです(笑)。 お時間あるときに、薄い文庫本1冊読むつもりでじっくりご覧いただければと思います。 (このブログでも1回あたりの字数制限があるため、何度かに分けて載せます。) 【映画「ジョン・レノン、ニューヨーク」賞味法】 ![]() ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン、ニューヨーク」はとてつもない才能・センスととてつもない貴重な映像・音源でまとめられたとてつもない作品であった。 何度も見返して、私なりの賞味ポイントをここに紹介させていただくことにした。 すべて映画に即して、どんどん列挙していくため、観る前に読みたくない方はここまででストップし、観終わってから読んでいただければと思う。個人的には、ネタばれとかそういう次元で価値が変わる映画ではなく、むしろ観る前に読んでいただいた方が深く味わえることを確信するからこそこうして公開した次第であるが、最終的にはどちらでも貴方の自由である。 それでは、始めよう。 冒頭のクレジットはこうだ。 A production of Two lefts don’t make a right productions 「残された二人はちゃんとやらない」? ポールとリンゴのことだろうか。いやいやそんなネガティヴな思想に基づいて作られた映画のわけがない。この文言を検索してみると、クリスチャン・ロックのバンドの曲名にもあるため、聖書の一節かもしれない。しかしながら、意味深である。 次に、Dakota group, ltd. ヨーコが今も住んでいる「ダコタ・アパートメント」を連想させる。 そしてNew Yorkという文字が出る。 1980年8月の「ダブル・ファンタジー」レコーディング・セッションでのジョンの生々しいトークバックがこの映画の第一声だ。 I just want Sashimi. Yeah, “Kicchiyo” 45 st. Look up it in a phone book, “Kicchiyo” (俺は刺身が食いたいな。45番街の吉兆、電話帳で調べればわかる) そして Just gimmie a raw fish! (singing) Just gimmie the raw fish. (生の魚を食いたい、(即興で歌にして)『生の魚を食いたい』) そのセッションに参加していたギタリスト、エンジニア、ドラマーらが証言する。 「ジョンはまたこうして歌えることが最高に楽しんでいた」 そして貴重なアウトテイクの「Stepping Out」象徴的な選曲だ。 「僕はちょっと一歩前に進んでみることにした」という曲だ。 ジョンが5年の休止状態から再始動したこのセッションがいかに素敵な空気で行われていたかが伝わってくる。 ジョンが、いかに全員の緊張をほぐしながら的確に指示していったかも証言で判る。 例えばこの「ステッピング・アウト」では「最初に俺が早口で歌い始めるからって、それはそういう構成になっているからであって、それにつられて演奏まで前のめりにならないように。走ってるんじゃなく、ゆっくり歩み始めた歌なんだから」と言ったジョンのトークバック。 ジョンは5年のブランクをまったく感じさせず、初日からギターを手に取るや「最初はこの曲から行くよ」といって始めたそうだ。 この映画はどうやらとてつもなく素晴らしいセンスできちんとまとめられた作品であることを既に確信させられる瞬間だ。 これだけでもとてつもなく貴重な音源であるにもかかわらず、この映画は、そんなことにいちいちこだわって驚いていたらきりがない濃密さだ。だから観る側は、いわばヨーコ・オノ状態の達観した気分でそれらのレア・トラックスを聞き流しながら、この映画の本来の骨子の部分を必死に追っていく。 そして「ウーマン」のPV撮影のため、セントラル・パークを2人で歩くシーンのアウトテイク。撮影中にもかかわらずサインをねだるファンと気軽にサインするジョン。 「自分がいかにNYを愛しているか」を語るジョンのインタビュー、ラジオショーのホストは「元ビートルズだった男がどうやって自分を再発見していくのか。その機会を彼に与えたのがNYだと思う」と証言する。 遺作のプロデューサーも務めたジャック・ダグラスは「ジョンが銀色の上着を自分で試着し、アメックスで払い、そのまま外に出たことを感激して語った。店中が大騒ぎになったりすることなく、何も起こらずに。だからこのジャケットは自分にとってこれまでで最高のジャケットだと喜々として語っていた」と回想する。 「この自由こそ 彼がNYを愛した理由さ」 そしてこの映画のタイトル。正式には「LENNONYC」ということもわかる。 バックに流れる曲はジョンの「ニューヨーク・シティ」。NYに引っ越してきたばかりの頃、その喜びを歌った曲だ。 「自由の女神は僕にこう言った。カモン!」 これまで制作されたジョンのドキュメンタリー映画には、ジョンのリバプールやロンドン時代をも含めた一生をたどる「イマジン」、ジョンがアメリカと戦った歴史のみを詳述した「ジョン・レノンVS アメリカ」があるが、本作「ジョン・レノン、ニューヨーク」は、それとは別の切り口で、ジョンとNYとのかかわり、その期間(つまり最後の瞬間まで)のジョンの歩みを紹介していくものである。 自分がヨーコ・オノで、現在76歳だったら、と考えて見てほしい。彼女は、自分の寿命と競い合うように必死に、そしてスマートにジョンの何たるかを語り残そうとしている。 ジョンの妻がこのように素晴らしい才能を持ったクリエイターであったことに、我々は感謝すべきだろう。※注1 ※注1: これさえ見えれば、オリヴィア・ハリスンが、ビートル未亡人の後輩として近年ヨーコと深く交流を深め、様々な場所に連れだって出席しているのもすべて腑に落ちるはずだ。(2008年リヴァプールのアートセンターで開催されたソングす・フォー・ジョージ・ハリスン ワールド・プレミア上映会に同じ車で到着したこと、翌日にLIPAで開催されたファッションショーに並んで座っていたこと、その晩のポールのコンサートに並んで座っていたことも、筆者は目の当たりにしている)。 映画のオープニングで必ず最後に出るのが、監督の名が出る。 脚本・監督 マイケル・エプスタイン ジョンもきっと「エプスタインという名の人間には、どうも俺に思い入れがある奴が多いな」と笑っているだろう。 最初はグリニッジ・ヴィレッジの半地下のアパートに住んだ。イメージとしては芸術家や詩人くずれが集まっている街。下北沢とか高円寺といった感じだろうか。 バンク・ストリートの1階にある、その部屋の玄関を正面から撮った写真が紹介される。 前には長い高級なアメ車と小さなフォルクス・ワーゲンが。トップ・セレブのビートルが質素なアパートに住んで気さくに暮らしていることを象徴するかのような1枚だ。 当時偶然撮ったのか、この映画のために車を配置して撮った写真なのか。前者であれば、宇宙の演出としかいいようがない素晴らしさだ。※注2 ※注2: 私はそこを訪れたことがある。アーミー・ジャケットを着たジョンが道路やなんかに聴診器をあてている映像もここで撮られたものだといえば、わかって下さるファンもいるだろう。 佇んでいる私に、この建物の上の階から出てきた男性が「俺のおばあちゃんが大家だった」とそのときの写真を家に戻って持ってきてくれた。ジョンは何台ものテレビを同時につけて全チャンネルを音なしで常時流していたらしい。 ![]() 71年のNYの地下鉄の映像にヨーコの「マインド・トレイン」が流れる。ヨーコが最新作で「Dトレイン」を発表した際、あれの続編というかトレイン・シリーズなのだと私のインタヴューに語ってくれた。 それにしても、なぜNYだったのか? ヨーコの友人のアーティスト、ジョナス・メカスが説明する。 NYを選んだのは、ヨーコの芸術家仲間がいっぱいいて、自由に交流していた。ヨーコが大好きだったからだ。来てみるとジョンもこの街のことが大好きになったんだ。 ウォーホルらとの当時の交流映像。ここには写っていないが、こうした集まりの中に横尾忠則もいたはずだ。 ヨーコは、ジョンと知り合う前から前衛芸術家としてNYでこうした交流を展開していたのだ。 一方、ジョンと知り合ってから、2人がイギリスのマスコミにいかにいじめられてきたかの映像。 ヨーコの証言。「夫の国だから愛さねばとは思うがここまでされて愛していたらマゾだと思うわ」「逃亡者になるのはロマンチックだったわ」「母国へ戻る感覚、それがNYだった」 「NYで最初に接触したのはアビー・ホフマンとジェリー・ルービンだったわ」 これまでのジョン&ヨーコ関係の書物を読んだ方なら、「過激派であり、彼らとの交流こそがアメリカが警戒した大きな要因であった」と御存知の名前だろう。 ここでこの映画は、彼らの当時の映像を紹介する。これが眼からウロコだった。 彼らは「メディアが取材したくなるような服装や発言を意識的にして、政治的なメッセージを発信している人間であったこと」が初めてわかったからである。そうすることで、若い世代に大規模な世論を沸き立たせることができると知っていたからだと社会学者も言う。ジョンとヨーコは、彼らが自分たちと同じ作戦で社会を変革しようとしていたからこそ接触したのだ。その作戦で現実に成功する可能性を知っている男、実際に肌で体験してきた男こそが、ジョン・レノンなのだ。 つづく ![]() ジョン関連の伝記映像作品は「ドキュメンタリー」、「再現ドラマ」など数々の手法で様々な作品がこれまで作られてきました。 本作は「ドキュメンタリー」、つまり本物のジョンの肉声や映像で構成されたものです。 そして、これはジョン関係のドキュメンタリー作品の中でも個人的には最高峰に位置づけられる出来栄えでした。 公式サイトで、予告編も観られます。 ビートルズ関係の映画を成功させ実績を残すことが次につながっていきますから、DVD化を待たずにできるだけ劇場の大スクリーンで観たいものです。 この映画についての拙レビューは「REAL TOKYO」cinema欄でご覧いただけます。
The animation entitled "REDLINE" is based upon the story and script by my favorite movie director "Katsuhito Ishii". At last, DVD including making movie was released. My review of it is on the website "REAL TOKYO" which introduces worth to see in Tokyo, now. ![]() どんな浅野忠信評かは「REAL TOKYO」BOOK/DISK欄にアップされたばかりの私の「REDLINE」のDVDレビューをご覧ください。この作品は私が大好きな監督・石井克人が原作・脚本を手がけたアニメ作品であり、映画公開時のレビューを若干改訂した原稿です。
Brian Epstein was obliged to hide the fact that he was homosexual, because it was illegal at that time. Time has passed and gay culture flourishes like this. ![]() 今日は世界中のゲイたちが集まり、ノンケの老若男女の見物客も含めて街中で盛り上がっています。 運河の街ゆえ、パレードといっても船であるのも何とも素敵な風情です。 私の滞在エリアには、観光スポットとなっている橋や運河があるため、当然このゲイ・パレードのコースにもなります。部屋から出て5秒ほど歩くと、もうこんな感じです。 画像では音は伝わりませんが、どの船も大音量でテクノを鳴らしながら嬌声を挙げて通り過ぎていきます。これを部屋で書いている今も、外は凄い騒ぎです。 テクノばかりの中、たまにヴィレッジ・ピープルの「イン・ザ・ネイビー」を流す船もいて、日本人である私は当然「ピンク・レイディ~」というフレーズも脳裏にだぶります。空耳でそう聞こえるからというだけの理由で、わが国の芸能界が眼をつけて、日本語でカヴァーした曲の系譜としては最近では郷ひろみの「アッチッチ(正式タイトルは『GOLDFINGER '99』)」があるなあとか、その系譜を遡れば「チンチンポンポン」もあるなあとか、ついでにそういうことまで頭をよぎりました。 以前もこのブログで書いたとおり、ブライアン・エプスタインの時代はホモセクシュアルは非合法だったわけですから、時代は変わったものです。 エプスタインのような芸能マネージメントにその才能を発揮する人物もいれば、ファッション・デザイナー、ヘアメイク、振付師、料理家、映画評論家、生け花といった「センスが問われる職業」で才能を発揮しています。宇宙はいろいろ粋なプログラムを組んでくれるものです。 ![]() It is a set of fountain pen and single record. Here are the results of googling. Mont Blanc official website This website is so cool that l can feel this product is so officially approved. Here you can see pictures of launching party in New York, Berlin (Yoko Ono appears), Hong Kong and Tokyo. Young Generation may feel that this kind of thing including collecting Butcher- cover or Gold Parlophone records are opposite attitude of rock spirits. On the other hand, I feel that it makes sense there occurs certain demands to make products which has suitable price for each age, when the 1st and the 2nd generarions has become over 50 or 60 years old. From the people in the 60s' point of view, now we are living in future called 21st century, and see such scenes in daily life. Let's enjoy being witness as "humankind from the future". 街を歩いていて、文具ブティックのショー・ウィンドウに「モンブラン万年筆 ジョン・レノン モデル」(680ユーロ 1ユーロ=110円)を発見しました。 帰って検索してみると、なるほどこんなのが出ていたんですねえ。 モンブラン公式サイト こちらのサイトも、オフィシャル品だけあってクールにまとめています。 更に詳しい説明はここで見つけました。 ニューヨーク、ベルリン(小野洋子さんも出席)、香港、東京で行われた発表パーティーの写真も、こちらで見ることができました。 ブッチャー・カヴァーやゴールド・パーロフォンといった高価なレコードを購入する行為も含め、「こんなのを買って悦に入っているなんて、ロック精神に反するぜ」と若い世代は思うかもしれません。 一方で私は、第一次世代や第二次世代のビートルズ・ファンが60代、50代になったとき、彼らへのプレゼントとしてこれくらいの価格帯の品も必要になってくるのだなと、その構造がとても理解できます。 ビートルズ公演に行くことやエレキ・ギターの演奏を学校から禁じられていた60年代の若者から見た「未来」に我々は今こうして暮らしており、その「21世紀の光景」に未来人として立ち会っていることをしみじみ賞味しております。 ![]()
The latest issue of "Record Collectors' Magazine" is Paul McCartney special issue, celebrating his "McCartney" and "McCartney 2" remasters. Of course, My article series "Beatles'-visiting-Japanology" is also on it. Don't miss it! ![]() レコード・コレクターズ8月号はポール・マッカートニー特集。 拙連載「ビートルズ来日学」では、来日時に撮影された「新発見写真」(厳戒態勢と言われている東京ヒルトンホテル内で、ポールがファンと交流?)を初公開しております。 ご興味のある方はどうぞチェックしてみてください。
If you are big fan of the Beatles (of course, you are!), this juggling performance would be really enjoyable. He definitely loves this "Huge Melody" on Abbey Road, so many times, not only juggling. 物をいくつも空中に放り投げて、どれも落とさないように(常に1つ以上の物が浮いている状態で)自分で受け取る曲芸を観たことがある人は多いでしょう。 そんな「ジャグリング」と呼ばれる曲芸に、ビートルズ・ファンなら思わず「へえ」と見入ってしまうパフォーマンスを見つけました。さっそく貴方と共有したくご報告させていただきます。 音楽とのシンクロ具合がたまりません。このジャグラーは、相当聴きこんでいるのでしょう。 こちら ![]() (映画公開時に掲載されたレビューに若干手を入れ、DVDのみの情報も加筆したもの) 東京の情報を世界に発信するサイト「REAL TOKYO」の"BOOK/DISK"欄でご覧いただけます。 同じく私が執筆させていただいた「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ コレクターズ・エディション【DVD】」レビューも読めます。(これは公開時と同一の文章内容です)
The latest issue of the cartoon "Boku wa Beatles" (I am the Beatles) Volume 5 is now on sale all over Japan. My article called "How to appreciate this issue", since Volume 1 is also at the end of the book. I hope you'll enjoy it! ![]() 講談社刊「僕はビートルズ」5巻に、賞味法を執筆させていただきました。 以前もこのブログでお知らせしたとおり、3・4巻はページ数の都合で賞味法掲載スペースがありませんでした。(その理由は、こちら) この5巻では「3・4・5巻賞味法」というタイトルで書かせていただいております。この漫画を更に深く楽しむ「ある画期的な方法」についても書いておきましたので、お楽しみに。
My articles are now on "Record Collector's Magazine" July issue. Beside my "Beatles'-visiting-Japanology" series, on this issue, I also report "Beatles Convention" in Europe. If your Beatles Convention experience is only "International Beatle Week" in Liverpool, you ain't got nothing yet. I hope you'll enjoy this latest issue. 6月中旬より書店に並び始めた『レコード・コレクターズ」7月号、連載「ビートルズ来日学」は当時女性誌のカメラマンだった方の貴重な写真をご紹介し、それらから読み取れる様々な情報を提示しております。お楽しみいただければ幸いです。 「来日学」の他には、ヨーロッパで開催された「ビートルズ・コンヴェンション」取材ルポも執筆しております。ビートルズ・コンヴェンションは夏のリバプールだけではありません。私がルポしたものは一体どこの国のコンヴェンションか? それは読んでのお楽しみ。 ちなみに、ビートルズ大学公式サイトのトップページ右上にある画像をご覧いただけばおわかりのとおり、今月号の表紙は何とキャンディーズ。これには意外でしたが、よく考えたらレココレは洋楽専門誌ではなく、何度も大瀧詠一氏のアルバムが表紙になったりしていることを思い出し、なるほど「あり」なのだと納得した次第です。 ![]() I remember that I watched Larry King live "LOVE 1st anniversary special" by watching TV in the hotel on the very day. Because I was in L.A. to attend the secret instore gig of Sir Paul McCartney at Amoeba Music on the next day. And 2 days lator, I flew to Las Vegas and experienced "LOVE" at the (almost) the same seat where Sir Paul sat down at the premere 1 year ago. It was amazing. I shed tears. It definitely has become one of my most favorite Beatles' material. When I watch the latest celebration on 8 July on the website. I again shed tears. Because, Paul McCartney seems happy with fiancée Nancy Shevell (premire reception in 5 years ago, Paul was during a law battle with his ex. wife Heather with sad mind). Because, Yoko and Sean look just like Yoko with John, and Olivia with Dhani look just like Olivia with George. Of course, I am so glad that Sir George Martin is fine. I recall his son Jiles Martin remembers me about interviewing on the day of worldwide release of "LOVE" album. Jiles kindly introduced me to his fathe next to him, when I said Hello to Jiles at the Stella McCartney Fashion Show at LIPA in Liverpool 2008. On the website, Yoko repeatedly said " I just wanna say that John would have loved that" which I am sure of, too. Those are a few of the reason I am impressed to watch THIS. ![]() 1周年のときは、あの有名なトーク番組「ラリー・キング・ライヴ」特番を組み、ポール、リンゴ、ヨーコ、オリヴィアが一同に揃い、ラス・ヴェガスのミラージュホテルから生放送していたのを思い出します。私はそれをLAのホテルで食い入るように見ていました。その翌日、L.A.の大型レコード店「アメーバ・ミュージック」で開催されるポール・マッカートニーの「インストア・ライヴ」を取材するためにアメリカ入りしていたのです。 そのライヴの翌日、私はラス・ヴェガスに飛び、ミラージュ・ホテルにチェックイン。ついに「LOVE」ショーを初体験することができました。席は2か月前からミラージュの公式サイトで確保していた「ポールがプレミア・ショーで座った席の1列前」です。ポールがどういう角度からこのショーを観たかを検証したかったからです。 ショーは素晴らしいもので、誰もが落涙してしまうほどの出来栄えでした。私がビートルズ作品の中で最高傑作のひとつに位置づけるゆえんです。 6月8日に行われた今回の「5周年記念パーティ」の映像を見て、私はまたも感動で涙ぐんでしまいました。 まず何に感動したかといえば、ポールが婚約者のナンシー・シェヴェルさんと幸せそうに出席している様子です。プレミア・ショーのときポールは、悲痛な離婚訴訟の泥沼の真っただ中だったため常に(意識的&無意識に)寂しそうな微笑みをたたえつつ、がんばってこのショーのお披露目を祝っていたのが忘れられないからです。 ショーンを伴って立つヨーコ、ダーニを伴って立つオリヴィアの姿にも落涙させられました。 ジョンとジョージの魂も、間違いなく笑顔でそこにいることが確信できるその尊さに、です。 もちろんサー・ジョージ・マーティンのお元気そうな姿だったことにも感激しました。 彼の息子ジャイルズ・マーティンには、まさにアルバム「LOVE」が全世界同時発売されたその日、幸運にもアルバムについてインタヴューさせていただいたこと、そしてその2年後にリヴァプールのLIPA(ポールが設立した音楽学校)の講堂にてステラ・マッカートニーのファッション・ショーが開催されたときポール、ヨーコ、オリヴィアと共に列席していたジャイルズにご挨拶しに行ったところ彼は私のインタヴューをはっきり覚えてくれており隣のサー・ジョージに手短に私のことを紹介してくれたことも思い出します。 シルク・ド・ソレイユの公式サイトで、6月8日の5周年パーティの映像が観られます。69歳になったばかりのポールは式場に入る際、世間に「まだ僕を必要としてくれるかい? まだ僕を食べさせてくれるかい?」と「When I'm 64」を口ずさんでくれます。 シルクの面々を激励する際「音楽も悪くないよ」と言って笑わせ、ヨーコは「ジョンも絶対この作品を気に入ったはずです」といろんなタイミングで述べています。私もまったく同感です。 以上、御報告に添えて、私がなぜ感動したかの理由を少々列挙させていただく次第です。 その映像は こちら ![]()
ジョンとヨーコのバラードに登場するホテルといえば、アムステルダム・ヒルトンです。彼らがベッド・インを行なったその部屋は、20年ほど前に泊まったことがあります。 たぶん今もそうだと思いますが、その部屋は小野洋子さんの監修の元、"John and Yoko suite"と名付けられ、スペシャル・ルームとして貸し出されています。中は、窓に例の「LOVE」とか「 BED PEACE」といった文字が貼られるなど当時の雰囲気を再現しつつ、メインルームの白い天井には青い空が描かれていたり、現代的な趣向も凝らされていたのを覚えています。 本日、久々にその前を通ったのでその建物を撮影しました。 ![]() 振り向くと、向かいの建物が「空き部屋」の広告を出しておりました。 ![]() 想像ですが「ジョンとヨーコがベッド・インした場所の向かいに住むという体験」といった売り文句なのかもしれません。
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