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さて、ここで貴方がアメリカ政府だと想像してほしい。 ビートルズがいかに大きな影響を全米の若者に与えてきたか。 ジョン・レノンというリーダーはここ数年、英国でベトナム戦争反対運動を行い続け、いよいよ我が国に来て住み始めた。 予想通り、過激派の奴らと接触している…。 私は、ジョンの死の直後から「アメリカのマインド・コントロール説」が濃厚だと感じていたものだが、この映画を見る前までは、アメリカ政府のとった「鶏を殺すのに牛刀を用いるがごとき愚行」に憤っていた。 だが、今ようやく、アメリカ政府が抱いた恐怖心もまざまざと実感させられた。 どちらも真剣勝負だったのだ。 世界中を舞台にしたまさに命がけの戦いであったのだ。 たとえれば「カポネにたてついてアンタッチャブルがどこまで行けるのか」に近い、世界のフィクサーたちも注目していた状態だったのだ。 金だけは持っている若者が、政財界の長年のルールと因習を「関係ないっすよ」と新しい方法で突き進んだことで、遂には政財界が政府まで動かして“てめえ、いい加減にしろよ”と逮捕した「ライブドア事件」と本質的には通じるものがある、といえばわかりやすいだろうか。 映画は次に「ジョン、NYに住んでまず何をやりたい?」とレポーターに訊かれる映像を紹介する。 「ジョン・シンクレアを釈放した。彼はたった2本のジョイントを所持していただけで逮捕されたんだ」 「特別に作ったジョン・シンクレアという歌も歌うよ」とジョンは語る。 そしてステージに立った時の映像。 ジョンについて詳しいファンも、データとしてでなく深い部分でもう一度かみしめるべきだ。これはジョンのコンサートではなく、活動家たちによって開催された”ジョンのコンサート付の政治集会“なのだという事実を。 無料でステージに立ったジョンは「特別に作ったジョン・シンクレアという歌を今から歌うよ」といってヨーコ、そしてエレファンツ・メモリーと一緒に歌い始める。 我々が普通にジョンの楽曲のひとつ「ジョン・シンクレア」を「はいはい、別件逮捕されたジョン・シンクレアを釈放せよと歌ったあの作品ね」と“データとして”把握しているのとはまた別次元のリアリティを感じるはずだ。 この曲の成り立ちから考えると「地域的にもメッセージ的にもピンポイントのテーマ」を歌った「個的」といってもよい作品なのに、ジョン・レノンほどになると、こうして世界的規模で購入され、長年に渡って聴かれているわけだ。 ジョン見たさに集まった大変な数の若者たちに、ジョンはマイクで言う。 「フラワー・パワーが失敗に終わったって?それが何だ。だったらまたやり直せばいい。団結すればきっとやれるんだ」 アメリカの反戦運動も67年以来、疲れ始めていた。 ベトナム戦争はますます激化する一方だからである。 それに慣れ始めていたとさえ当時の証言は言う。 だからこそ「そんなことになっている場合ではない。どんどん多くの命がなくなっているのだ。徐々にではなく至急、この戦争を止めなくては」という状況になり、「反対を唱えるだけでなく、抵抗せねば」がスローガンになってきていた。 まさにそんな71年にジョンがNYに活動拠点を移したのだ、ということがよく把握できる。 また別の大規模集会にヨーコと登場して「何かの本に『反戦運動はもう終焉を迎えた』とあった。へっへっ、ちゃんちゃらおかしいぜ」とアジテートするジョンの映像。 そうなのだ。 ジョンはずっとこれくらいの発言を公にしたくて仕方がなかったのだ。 しかしビートルズというバンドのメンバーであったため自重していた部分があったことがよくわかる。 そして解散直後のこの時期、思いっきり伸び伸びと、言いたいことを好きなだけ発信しているのだ。 この映画は、なんとそのコンサートの48時間後にジョン・シンクレアが釈放された映像も紹介する。 その時の若者世代の「何でもできる」と感じた高揚感。 アメリカ政府側の不安も、今や貴方はまざまざと体感できるだろう。 政治集会で活動家の若者は煽る「ハリケーンのような威力を持つジョン・レノンを我々は必要としている。 ジョン、これからもよろしく」大変な数の若者が声を挙げて高揚している。 まさに「ビートルマニア 政治編」である。 少年マガジンが読者と共に内容が高年齢向きになっていき学生運動の中で大学生に愛読されたように、ビートルズも彼らと一緒に成長し彼らと共に歩んでいたのだ。 活動家たちとジョンはこんな打ち合わせをしていた。 「政治集会をセットにしたジョンの全米ツアーを行い、アメリカ中の若者に反戦と有権者登録を行い投票数によって政府にNOを突きつけよう」と。 翌72年は「18歳が選挙権を持つ初めての選挙」となるからだ、と解説が入る。 「18歳に反ニクソン票を投票させることが重要であり、66年以来初のビートルの全米ツアーとセットにすればそれは実現できる」と言う作戦だったのだ。 一方、アメリカ政府、すべての政治集会はFBIも潜入し、全員の全発言はおろかジョンがそこで歌った歌の全歌詞まで、文書でニクソンに報告していた。 ニクソン政権にしてみれば「これは断固阻止せねば」と思うのも当然だ。 「68年の武力闘争の連中が、今度はジョンを先頭にもう一度やらかすというのだ。これは何としても阻止せねばならなかった」と解説が入る。 アビー・ホフマンとジェリー・ルービンは過激派で武力闘争、破壊行為も辞さなかったのだ。 ここで現在のヨーコが登場し「もちろんジョンは、アビー・ホフマンやジェリー・ルービンのやり方(武力闘争)は採ろうとはしませんでした」と補足説明する。 ジョンとヨーコの方法論は、例えばニクソンの対抗馬を大統領にするといった方法であった。 ヨーコは「世界を平和に導くために自分たちなりに努力していたのだ」と語る。 (このあたり、映画『アクロス・ザ・ユニヴァース』で描かれた、主人公と過激派の関係と相似形である。あれは実によく出来た映画なのだとあらためて実感させられる。) そしてニクソン政権が「レノンの計画を阻止する対応策は国外追放がベスト」と結論を出したことが、FBI機密文書(近年ようやく公開された)をまじえながら明かされる。 ここで、この時期ジョンのバックを務めていたバンド「エレファンツ・メモリー」の紹介が挿入される。 日本では当時「過激派で構成されたバンド」と紹介されていたが、政治を題材にし集会に積極的に駆けつけてグリニッジ・ヴィレッジの若い世代をアジテイトしていたバンドなのだとわかる。 ジェリー・ルービンたちがエレファンツ・メモリーのテープをジョンとヨーコに「これ聴いてみてよ」と渡したというヨーコの証言。 「政治的スタンス」が共通しており、ジョンのバックを務められるくらいのレベルのバンド…このバンドがNYにいなかったら、ジョンとヨーコはステージに立つときもアンプラグドかまたは学芸会程度のその都度のステージバンドと余興に近いお楽しみタイム的にやるしかなかったわけだ。 遅まきながら、エレファンツ・メモリーがいてくれたことに深く感謝した。(今までは『ビートルズ年表に登場する名前のひとつ』といった認識だった。私のようなファンは結構多いのではなかろうか。) 最初に一緒にレコーディングした曲は「女は世界の奴隷か」。 白人が「ニガー」という単語を発するこの歌は放送自粛され、売れ行きもさんざんだった。 しかしテレビ(ディック・キャベット・ショー)出演時に注釈つきでその演奏がオンエアされ、ほとんどがTV局は奥歯にものの挟まった注釈をつけるなというポジティヴな意味での講義だった。 ニューヨークっ子、アメリカ国民にとっては、遠いイギリスで暮らしていたジョンが自分たちの国に引っ越してきたという実感が(こうしたアメリカのTV出演も含め)実に生々しかっただろう。 ディック・キャベット・ショーで、ジョンはヨーコにこう言う。 「訴訟の話もしたほうがいい」 ジョンとヨーコが雇った弁護士は当然超一流だ。 その弁護士はアメリカ政府移民局のえらいさんと長年の知人であった。 だから、すぐ電話をして居住ビザの延長許可をもらいたいのだがと伝えたし、移民局のえらいさんは「よし、前向きに検討するよ」といつもどおりに胸を叩いてくれた。 しかし、しばらくして電話があり、その移民局のえらいさんも口調が変わっていたと弁護士はいう。 移民局のえらいさんはその弁護士にこう言ったそうだ。 「我々は彼を追い出したがっている。1か月の延長ぐらいなら私の権限で発行する。それ以降は、彼らを我が国から追い出したまえ」と言われたそうだ。 「我々」というのが誰を意味するのかはわからないが、と弁護士は回想する。 つづく
by b4-univ
| 2011-08-13 05:05
| レヴュー
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